子育て中の個人開発者の一日

--

定山渓にて

どうもTAKUYAです。 久しぶりに生活まわりの事を書きたい。自分はInkdropというMarkdownノートアプリを売って生きている。

子供も無事順調に成長しており、あと数ヶ月で3歳になるというところで、イヤイヤ期もやっと終わりが見えてきた。 生活パターンもなんとなく定着しつつあるので、ここで一旦どんなルーティンなのか書き出してみる。ちなみに当方今年で40歳。

平日の1日の流れ

  • 06:30 妻と子供起床、朝食
  • 07:10–30 俺起床、朝食
  • 07:40 布団を畳んで子供を着替えさせる。妻はその間に化粧や通勤の準備
  • 08:00 ストレッチと軽い筋トレ(腕立て50回、スクワット100回)
  • 08:10 妻と子供を見送る。15分前後瞑想
  • 08:30 散歩
  • 09:00 作業開始(カフェまたは家)
  • 11:00 昼飯
  • 12:00 ダラダラする
  • 12:30 作業再開(だいたい家)
  • 15:30 必要に応じてスーパーに買い物に行く
  • 16:20 ジム行って3kmほど走ったり筋トレする
  • 16:30 子供が降園、妻が迎えに行く
  • 17:00 晩飯を作る
  • 17:30 晩飯を食べる
  • 18:30–19:30 3人でダラダラする
  • 20:00 お風呂(妻が入れる事が多い)、入れていない方はその間に部屋の片付けをしたり寝床を用意
  • 20:30 風呂上がりの子供を保湿したり着替えさせたりする
  • 20:40 読み聞かせ&寝かしつけ(所要時間40分〜1時間)
  • 21:30 夫婦で雑談したりおのおの過ごす
  • 22:30 妻就寝
  • 24:00 俺就寝

作業時間は1日6時間前後。6年前もそうだったので、自分の集中力は6時間が限界なのだろう。 理想は起床と就寝時間を合わせる事だが、自分はクロノタイプが夜型でどうしてもそれが出来ずにいる。カフェは、社会との繋がりを感じたい時に行く事が多い。作業は基本的に家の方が捗る。

家事の分担

妻は正社員で時短で働いている。 保育園は通勤の最寄駅までの途中にあるので、送り迎えを基本的に担う。 用事があったり退勤が遅くなりそうな時は自分が適宜行く。 また、保育園で発熱したりした場合も自分が対応する。

料理は自分が担当。毎日自炊している。 通勤がない代わりに、料理することで頭を強制的にホームモードに切り替える。子供は偏食がひどいが、かろうじて食べるブロッコリーや卵、さつまいもなどをサラダにして用意する事が多い。そのほかの料理では、シンプルな味付けの段階で先に取り分けて与えたりする(食べるとは限らない)。

洗濯については、1日3回洗濯乾燥機を回している。朝タオル類を回して、昼に衣類を回す。夜は娘の衣類やおしゃれ着類を乾燥無しで回して、風呂場で干す(妻)。

掃除はルンバ。また、隔週で家事代行さんにお願いしている。そのお陰で週末を水回りの掃除とかに費やす必要が無くなって、休むことに集中できている。 安く無いけど、時間を買うと思えばその価値があると思っている。

無理な事はスッパリ諦める

子供が生まれる前は、夜の自由時間も当然いっぱいあって、ゲームも読書も色々出来たし、海外旅行やノマドワークで数週間滞在したりといった事も出来た。しかし今はその大部分が制約されている。生まれてからは1人で泊まりでどこかに行った事はまだ無い。アプリ開発が思うように行かなかった日も、当然子供は保育園から帰ってくるので作業を切り上げなくてはいけない。妻に「殺気立っている」と言われた事もある。切り替え難しい。

しかしその状況に苛立ったところで、出来ないものは出来ないのだ。1歳の時に無理やり泊まりでどこかに行ったら、妻に一生恨まれただろう。もうこれは「今はそういう時期なのだ」と割り切ってスッパリ諦めるのが一番だ。出来ないことを嘆くより、今まさに目の前で変化し続ける小さな生命体と、まだ体も自由に動いて健康なうちに沢山過ごす、そういう時期なのだ。

しかしながらそんな正論を自分に言い聞かせても、なかなか辛い時は辛いもんで、去年の夏にアトピーが猛烈に悪化してぶっ倒れたりもした。あれは大変だった・・。「周りの期待にも応えつつ、家族とも上手くやって行く」、それが出来ない自分に苛立ち、憤っていた。 とにかく、自分にあまり求め過ぎないように気をつけたい。

万が一ダメになったら再就職すれば良いと開き直る

個人開発で飯を食うというのは、何も後ろ盾の無い不安定で果てしのない道だ。この不安がゼロになる事は今後もないだろう。自分は不安になった時に、いつも最悪のケースを考える。 万が一ユーザがみんな居なくなって売り上げが立たなくなってしまったらどうする? うーん、たぶん死にはしないだろうな。

自分は Build in Public という、個人開発で得た知見を公開しながら活動する手法を取っている。 そのお陰か、たとえばReact Native界隈では一定の認知があったりする。もし振り出しに戻るような事になっても、今まで発信してきた情報の評価は残る。だから路頭に迷うことは無いだろうし、海外の会社に現地に住んで働いてみたいというもう一つの夢も叶えられるかもしれない。それはそれでアリだなと思ったりする。 妻にもこういう話を結構しているけど、割と前向きに聞いてくれる。

そう考えることで、「色々制約はあるけど楽に行こうぜ」と自分を宥めるようにしている。諦観、あるいは開き直りの精神で、今日も3歳手前の子供の無限ループオママゴトに付き合うのであった。自分の活動を理解・応援してくれる妻にこの場を借りて感謝。

--

--