「一汁一菜」にAI時代の生き方が詰まっている
どうも個人アプリ作家のTAKUYAです。
今回は、AI時代を開発者・クリエイター・表現者としてどう健やかに生きるか、について考えていることをシェアしたいと思います。ここでの「健やかに生きる」とは、心身の健康を保ちながら、ものづくりを楽しみ続けるという意味です。
読者の中にも、最近のAIの急速な進化の中でどう生き残り、さらに活躍していくかを悩んでいる方は多いのではないでしょうか。正直、すべてに対する正解はわかりません。未来を正確に予測できる人はいないからです。
でも自分は、ソフトウェア寄りのアーティストとして生きる上で大事なのは、「戦略」や「堀(moat)」を築くことよりも、「生きる方向性」 だと思っています。
人生とは速度ではなく方向である – ゲーテ
自分はどこに行きたいのか?何を見たいのか?それが大事です。戦略は状況に合わせて柔軟に変えればいいからです。
今回は、日本の文化からいくつかの生き方の原則を探ってみたいと思います。
最近、料理研究家の 土井善晴 さんの 「一汁一菜でよいという提案」 を読んで、日々のリズムを健やかに保つためのヒントがたくさん詰まっていると感じました。
今、多くの人が「AI疲れ (AI fatigue)」を感じています。毎日のように新しいサービスが登場し、大手企業のリリースが毎週のようにワークフローを変えてしまう。
すべての流行を追いかけたところで安心感は得られません。むしろ、本当に磨くべきスキルが霞んでしまうだけです。ついつい頑張りすぎて、結局疲弊してしまう罠にハマりやすい。日本の伝統文化は、こうした不確実性の中で地に足をつけてしなやかに生きるための、別の視点を与えてくれます。
さっそく見ていきましょう。
自分自身の「心の拠り所」に帰ってくる生活のリズムを作る
土井さんの本は、不要なものを削ぎ落とすことで「心地よい場所」が見えてくると説いています。
暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ること
明確なルールやポリシーや方向性がなければ、やりたいことリストやToDoリストはあっという間に溢れかえります。
たとえばSNS。アルゴリズムは、あなたの興味に合わせてゴシップや炎上ネタをこれでもかと表示し、できるだけ長くあなたの注意を引き留めようとします。
でも、それらを「自ら見に行かない」という選択は、完全にあなた次第です。
自分は常に、ネット上のゴシップや炎上に時間を費やさないよう気をつけています。そうすることで心の平穏を保ち、他人と自分を比べて惨めな気持ちになるのを避けられます。
一汁一菜から学ぶ
生活のリズムを作るには、日常の中で やらないこと を決める必要があります。
料理という領域で土井さんが提唱するのが 「一汁一菜」 というシステムです。これは多くの人々を救いました。ご飯を中心に、汁物一品とおかず一品で構成される、最もシンプルな和食のスタイルです。
食べることは、生きることの根幹です。なのに、それをシンプルに保つのは驚くほど難しい。無数の食品、レシピ、健康情報が溢れ、テレビは毎日美しくバリエーション豊かな食事を家族のために作るべきだと煽ってきます。
これって今のテック業界にそっくりだと思いませんか?みんな無意識のうちに疲弊していて、毎日何かすごいものを作らなければいけないと感じている。土井さんはそれを見抜いて、こう言って人々を重圧から解放しました:
食事を一汁一菜にすることで、食事作りにストレスはなくなります。それだけで精神的にも随分とらくになるはずですが、その上で、自由にのびのびできる余暇という時間を作ることです。それによって楽しみができて、心に余裕が生まれてきます。
ソフトウェア開発者はソフトウェアなしでは生きていけません。それはまさに生活の根幹であり、同様にシンプルに保つのは驚くほど難しい。この土井さんの原則の背景にある哲学から、学んでいきましょう。

毎日やっても飽きないものを見つける
なぜ料理がそれほど大切なのか? それは毎日行うことであり、自分や大切な人を心から安心させてくれるものだからです。土井さんはこう書いています:
妻がその場で娘のために作る料理の音を、娘は制服を着替えるあいだに聞いたでしょう。匂いを嗅いだでしょう。母親が台所で料理をする気配を感じているのです。まさに料理は愛情です。どれだけ家に帰ってきてホッとしていることでしょうか。どれだけ安心できたことでしょうか。愛されていることを全身で感じているのです。だから子どもにとって、親の料理は特別なものなのです。
この一節には深く心を動かされました。自分は毎晩、家族のために料理をしています。通勤がないので、仕事から家庭への切り替えとして、料理がその役割を果たしてくれています。4歳の娘が「なんかいいにおいがする」とたまに言ってくれることがあって、それがまた嬉しい。
大事なのは、毎日やっていて安心できて、心地よくて、なんだか幸せな気持ちになれる何かを持つことです。楽器を弾く、朝散歩する、絵を描く、歌う、泳ぐ、寝る前の読書、瞑想——なんでもいいです。それは 飽きないもの であるとよいです。昔、心から楽しんだこと、没頭した経験のあるものとか。他人と比べるのではなく、マインドフルでいられるもの。
まだ見つかっていないなら、まずはパソコンから離れて外に出て、新しいことを体験してみてください。土井さんが示唆するように、画面を使わない習慣であることが重要だと感じています:
ご飯と味噌汁のすごいところは、毎日食べても食べ飽きないことです。(...)
だいたい人工的なものというのは、食べてすぐにおいしいと感じるほどに味がつけられています。そういった、人間が味つけをしたおかずというのは、またすぐに違う味つけのものを食べたくなります。
大事なのは、ご飯と味噌汁のように 毎日帰ってこれる、飽きないもの を見つけること。NetflixやTikTokのような、瞬間的な刺激はあるけれどすぐに疲れてしまうものは避けましょう。
アイデアやつながりを有機的に発酵させる
アルゴリズムやAIに適応すればするほど、有機的なつながりに一層の価値を強く感じるようになりました。人とのつながり・アイデアのつながりの両方に対してです。土井さんは、「飽きないもの」というのは往々にして人間が設計・実装したものではないと説明しています:
食べ飽きないご飯とお味噌汁、漬物は、どれも人間が意図してつけた味ではありません。ご飯は、米を研いで、水加減して炊いただけ。日本で古くから作られてきた味噌は微生物が作り出したもので、人間の技術で合成したおいしさとは別物です。人間業ではないのです。
自然の景色を見て美しいと感じ、それは何度見ても見飽きることはありません。そのダイナミックな変化に感動することもあるでしょう。自然は自然とよくなじむ、このことを心地よいと感じます。その心地よさに従って、命を育んできたのです。
この「人間業ではない」——つまり計算されたものではない——という概念こそ、デジタルライフに欠けているものです。アルゴリズムはインターネットにおける「加工された味付け」です。瞬間的なドーパミンを与えるように設計されていますが、1時間後には空虚さと「味に飽きた」感覚だけが残ります。
自分が一番しなやかでいられる瞬間は、完璧に最適化されたプロンプトやバズった投稿から生まれるのでは決してありません。それは 日常の「発酵」 から生まれます。つまり、エンゲージメントのために最適化されていない、ゆっくりとした、雑多で、台本のないやりとりの中から。
たとえば、スタバの店員さんとのちょっとした会話や、幼稚園の送り迎えでママ友・パパ友と雑多な近況を話すこと。そういう時、自分はアルゴリズムの中ではなく、自然なリズムの中にいると感じます。こうした小さな瞬間が、自分は社会の一員であり、本当にこの世界を生きているんだという実感を与えてくれます。
良いアイデアも同じです。画面を睨みつけてブレイクスルーを無理やり出そうとしている時には、全く降りてきません。散歩をしている時やぼんやり景色を眺めている時に、ふと「降りてくる」ものです。
それは 蒸留(distillation) ——速度や純度、効率を求めるもの——というよりも、発酵(fermentation) に近い感覚です。適切な環境を整えて、あとは潜在意識に時間をかけて働いてもらう。味噌や酒を急いで作ることはできないし、本当にオリジナルな思考を急いで生み出すこともできません。
技術トレンドの移り変わりを四季のように楽しむ
四季折々の食材があり、土井さんはそれを楽しむことの大切さを説いています:
季節の楽しみを食べるときは、一言添えると良いでしょう。「初もんのさくらんぼよ」「今年の鰹はおいしいね」「蕗のとうの苦味は薬になるの」「おばあちゃんからトマトと茄子が届いたよ」「旬はやっぱりおいしいね」「今年はまだたけのこを食べてなかったね」「食べとかなもったいない」「これで白菜漬けも食べ納め、もう来年までないよ」と、いつも、毎年、声に出して下さい。
日本では、初鰹の到来や冬の白菜の食べ納めを味わいます。こうした移り変わりを楽しむのは良いことですが、一つ気づいてほしいことがあります: 人々はそれを「追いかけ」たりしない ということです。桜の見頃を逃しても、失敗したとは感じません。ただ次の巡りを楽しみにするだけです。
ところがテック業界では、トレンドをいかに早くキャッチアップするかというレースのように扱ってしまいがちです。「最新情報についていかなきゃ」と必死になるのではなく、新しいテクノロジーを季節の訪れのように捉えてみてはどうでしょうか。すべてをマスターする必要はありません。
あなたは本物の自然の中に生きているのと同じように、「技術の自然(Technical Nature)」の中にも生きているのです。
新しいAIモデルが出たら、それは春の筍のようなものと捉えてみる —— 面白いし試す価値はあるけれど、ストレスを感じるようなものではありません。
自分のものづくりで必要になった時に、初めて学べば良いのです。
「追いかける」から「味わう」へシフトすることで、FOMO(Fear of Missing Out)が好奇心に変わります。
情緒とは、「もののあはれ」です。情緒性を持つとは、日本の四季、自然の移ろい、新しく生まれる命と朽ちゆく命に、人間の心を重ねて共鳴できる力を持つことです。
「追いつかなきゃ」という執着を手放し、先に触れた「余暇の時間」を自分に許した時、「遊び心」という名の大切な創造性の種が生まれます。
本当の創造性は、生存不安や焦りからは生まれません。季節の食材で遊ぶ料理人のように、手元にあるツールで遊ぶところから生まれます。僕はこれが開発者にとっての「健康的な生き方」なのではないかと思います。つまり、テクノロジーの単なるユーザーではなく、その絶え間ない誕生と衰退に共鳴し、そのリズムを使って本当に生き生きとしたものを作り出す人になること。
がんばりすぎない

自分は去年、燃え尽きを経験しました。
一汁一菜の哲学は、そこから一歩引いて考える助けになりました。
ノイズを削ぎ落として、本当に大切なものに立ち返ることを思い出させてくれます。
リラックスしましょう! 自分が思っているほど、状況は悪くないですよ。
自分の直感を信じて、身体の声を聴いて。
そして、今この瞬間の変化を楽しんでいきましょう :)